立川飛行機株式会社が製作した「一式双発高等練習機」。現存する唯一の機体を一般公開。

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重要航空遺産の一式双発高等練習機

第二次世界大戦時の1940(昭和15)年に大日本帝国陸軍の指示を受けて立川飛行機で多目的双発高等練習機として開発され、1941(昭和16)年に制式採用となった一式双発高等練習機。自社開発のエンジンは信頼性が高く、全金属製機体の耐久性に優れ性能と実用性が高く評価され、乗員訓練機のほかに輸送機などとしても使用。1945(昭和20)年まで生産が続けられ、1342機という日本機としては比較的多数が生産されたことは、本機が重用されたこと示唆している。一式双発高等練習機は日本の航空史の一面と技術水準を示す機種であると考えられ平成28年に重要航空遺産に認定された。(参考文献:日本航空協会)

公開される一式双発高等練習機は1943(昭和18)年にエンジン故障で十和田湖に不時着水した機体で、2012(平成24)年9月に69年ぶりに引き揚げられ、国内に現存する唯一の一式双発高等練習機として青森県の三沢航空科学館で展示されていました。その後、立飛ホールディングスは、2020年11月に同機を譲り受け、地域のみなさんに一式双発高等練習機を通じて当時の立川飛行機の技術と、その歴史の一端に触れていただければと公開を企画したそう。

今回、一式双発高等練習機が展示される場所は立川市高松町にある立飛ホールディングス南地区5号棟。

現在は飛行機の製造はしていないのですが、どこかその当時の様子が感じられる建物がちらほらと。

会場となった倉庫も大変な歴史の積み重ねを感じる建物だなぁと感じました。木造であるが故の梁の太さなど、古い会社の旧い建物だからこその価値です。

展示場に入る前には、青森県十和田湖から引き揚げられた様子をおさめた映像で振り返るところからはじまります。

展示場に入ると最初に現れるのが一式戦闘機「隼」搭載「ハ25型エンジン」

機体が引き揚げられた十和田湖の湖底は水温4~5℃と低温かつ淡水だったので、腐食は少なく、マークや機体番号、胴体の日の丸など、当時の塗装まで残されていたそうです。

こたらが操縦席で操縦桿やレバーなど飛行しているイメージが湧きますね。

当時の写真や機体の説明など丁寧に展示されていますので、飛行機の歴史や、当時のようすを感じるとても感慨深い展示でした。

一般公開は11月28日(日)まで。時間は10時から16時00分(受付は15時45分まで)、入場無料。
展示場所:立飛リアルエステート 南地区5号棟(東京都立川市高松町一丁目100番地)

来場者にはプレゼントも。詳細はこちらをご覧ください。https://www.tachihi.co.jp/2021/11/19/issikisouhatsu/

そしてもうひとつ、立川飛行機製作のR-HM型軽飛行機を展示しているお店が近くにあるんです。

1952年に飛行機製作が解禁されて、飛行機製作技術の再興を目的に、戦後初の国産飛行機であるR-52型軽飛行機を含む3機の飛行機を製作しました。そのうちの1機であるR-HM型軽飛行機は、フランス人技師のアンリ・ミニエ氏が設計し、1954年に初飛行に成功しました。「プー・ド・シェル(空の虱)」の愛称で呼ばれた同機は、低速での飛行が可能な反面、高度な操縦技術が要求されたことから量産には至りませんでした。
2013年、立川における飛行機製作の歴史を地域の子どもたちに伝えるため、立飛グループの倉庫に保管されていたオリジナルの機体を修復。設計図以外の資料が殆ど無い中、試行錯誤の末に修復された同機は、現在グリーンスプリングスのTAKEOFF-SITEで展示中です。

空に憧れて 空をかけてゆく。飛行機とゆかりがある街、立川でした。

TAKEOFF-SITE

文・写真:Yuji Toda
立川新聞編集長/カメラマン
https://www.yujitoda.com/

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